Gallery

ギャラリー

【開催日時】
2023年9月2日(土)~9月24日(日)
10:00~19:00(最終入場18:30)

【会場】
マテックプロダクツ 2Fギャラリー(入場無料)
帯広市西22条南3丁目34-1 Tel / 0155-35-7711

みどり色

日本では時として、植物を代表する色でもあるみどり色のことを青と呼ぶ。青という漢字は、そもそも植物の有り様を示しているという。その青こそ、すべてにおいてはじまりの色なのである。
ぼくはよく森の中を一人で歩く。なかでも新緑の頃の森の中はとても瑞々しく、そのみどり色に包まれているだけでひたすらに気持ちよく、同時に不思議と大きな安堵感に包まれる。そして何より、その新緑の森の中で撮る写真はいつだって美しい。
実は新緑のみどり色と写真の間には、とても大切な関係がある。そもそも写真術とは、そこに存在する光景、時には光そのものを、感光剤の上に定着させる技法だ。適正な画像を定着させるためには、その際の感光剤の感度に合わせた適正な露出を与える必要があり、ひとつの基準点のようなものが求められる。
その露出を決めるために使用されるのが、18%グレーの反射板である。すべての写真術において、美しい写真を結像するための露出が18%グレーの反射板を基準としておあり、それは現在に至るまで用いられている。新緑のみどり色がモノクロームになると、それがまさに18%グレーそのものとなる。考えようによっては、みどり色が写真の世界における中心と言ってもいいかもしれない。
つまり、ぼくたちが暮らす世界は、その18%グレーに包まれている。今のぼくらは、自分たち人類が世界の中心のような顔をしているけれど、この世界の中心は、みどり色を纏った植物たちなのかもしれないとも思う。
ぼくは子どもの頃から図鑑が好きだった。時間があれば家の本棚に並んでいる図鑑を眺めていた。ある日、たしかそれはスミレかなにかだったと記憶しているが、植物の名前を調べたくて一冊の植物図鑑を手にした。その時ぼくが初めて手にした植物図鑑もみどり色だった。少し小ぶりなその図鑑は、後に知ることになるけれど、偶然にも『原色牧野植物図鑑』だった。
その図鑑と、牧野富太郎博士が結びついたのもまた偶然だった。東京の杉並に住んでいた小学生の頃、ぼくは近くの石神井公園で友だちとよく遊んでいた。そのすぐ横に、今ではすっかりきれいになった「牧野記念庭園」があった。そこで牧野博士の名前を知り、家に帰って図鑑を見ると、そこに牧野博士の名前を見つけて、とてもうれしかったことを懐かしく思い出す。
植物図鑑というのは不思議な本で、最初は草花の名前を調べようと頁をめくり始めるものの、そのうち何を調べようとしていたのかをすっかり忘れ、気がつけばいつも、そこにある多種多様な植物たちのすがたを追いかけている。その印象は、まさにみどり色に包まれている森の中にいる印象とまるで同じで、とても心地のよい時間だった。
今、こうやって振り返ってみると、牧野博士との出会いはいつだって偶然から生まれていた。
ある日、いつものように新宿の紀伊國屋書店の図鑑コーナーで何冊かの図鑑を眺めていると、『Makino』とだけ名された一冊の小ぶりの書籍が目に入った。手にとって頁を捲ってみると、それは植物図鑑ではなく、牧野富太郎博士生誕150年を記念して出版された書籍で、高知新聞がおよそ一年をかけて、牧野博士ゆかりの地を再訪する新聞連載の紀行文を一冊にまとめたものだった。
牧野博士の人柄を感じさせるとてもあたたかい紀行文だった。ぼくはここ数年、東京の青山ブックセンターの「この夏おすすめの一冊」という推薦図書を担当しているのだが、迷わずこの『Makino』をその年の推薦図書とさせていただいた。
しばらくして、かねてより親交のある高知で手摘み茶を手がけている竹内太郎さんが、『Makino』の著者でもある高知新聞の竹内一さんとお知り合いということから、ご本人にお目にかかることができた。初対面時に書籍のサインをお願いすると、一さんは照れくさそうに、とても気さくな字で小さく名前を書いてくださった。それがとてもうれしかった。後日、一さんはぼくを博士の生家でもある佐川町に連れて行ってくれた。
その時ぼくたちは、おそらく幼少期に博士も遊んでいたであろう金峰神社の境内で、現在は牧野植物園のシンボルマークとなっている「バイカオウレン」を見つけることができた。少なくともぼくにとっては、その写真をスマホの待ち受け画面にしたほど、それはそれは心躍る瞬間だった。
一さんは牧野植物園へも案内してくれた。植物園も圧巻だったが、ぼくはそこで見せていただいた「牧野文庫」と称する牧野博士の蔵書のすべてに驚愕した。ジャンルの広さはもちろん、それはまるで博士の脳内を垣間見ることができるかのような空間だった。ひとりの植物学者の知性が、ひとつの大きな美意識として存在していた。
その文庫のなかで、文庫班長の村上有美さんが、いくつかの書籍とともに、博士が描いた植物画を観せてくれた。その卓越した細密な描写力。ひたすらに美しかった。ぼくは一枚の絵画と対峙するかのような感覚でそれらの画をながめ、博士の植物画の数々に魅了された。
次に観せてもらったのが、牧野文庫の隣の部屋に収蔵されている標本である。牧野博士が100年以上前に作った標本が、まるで今でも生きているかのように美しかった。彼の植物画にも通じる美意識の元で作られていることが、ぼくにも手に取るようにわかった。
それらの標本は現在、植物学という学問のための大切な資料として大切に保管されている。しかしぼくは、標本ひとつひとつの美しさを、肖像写真を撮るかのような眼差しでもう一度光を当て再び蘇らせたいと願った。一さんや牧野植物園の藤川和美さんをはじめ、植物園の皆さんにもその思いが届き、その尽力のもと、ぼくは牧野博士が制作した選りすぐり42点の標本の撮影をすることができたのである。
そのひとつが「センダイザクラ」。この標本は、博士が東京練馬のご自宅の庭で咲いたサクラを、とても丁寧に、そして標本的な側面から観ても、きわめて的確に採取して作られたものだった。ぼくはその写真をピンクプラチナプリントという技法によってサクラ色のプリントに仕上げた。その写真は、博士の生誕160歳の誕生日に、高知新聞をピンク色に染めて、博士の平和に対するメッセージとともに高知の各家庭に届けられた。

植物に感謝しなさい。
植物がなければ人間は生きられません。
植物を愛すれば、
世界中から争いがなくなるでしょう。

牧野富太郎

残念ながら、いまだに戦争は続いている。あの晩、ぼくと一さんは戦争についていろいろと話をした。平和の大切さ、日常の大切さについても語り合った。そうしたなかで、ぼくは「静」という漢字の中に「争」という漢字が含まれていることに疑問をもった。
「静」という漢字を改めて見ると、それは「青」と「争」という漢字からなっている。それがとても不思議だった。調べてみると、「静」という漢字には「争いを、青(植物)がゆっくり鎮める」という意味があるようだ。これはまさに、あのサクラ色の新聞の博士の言葉そのものではないか。そしてあのサクラ色も、もともとはみどり色の葉からつくられている。やはりこの世界の中心は、植物というみどり色なのかもしれない。

菅原 一剛

<profile>
菅原 一剛
/ 写真家
1960年札幌生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業後、早崎治氏に師事。 フランスにて写真家として活動を開始して以来、数多くの個展を開催。1996年に撮影監督を務めた映画「青い魚」は、ベルリン国際映画祭に正式招待作品として上映される。2004年フランス国立図書館にパーマネントコレクションとして収蔵される。2005年ニューヨークのPace MacGill Galleryにて開催された「Made In The Shade」展にロバート・フランク氏と共に参加。またアニメ「蟲師」のオープニングディレクターを務めるなど、従来の写真表現を越え、プリンターの久保元幸氏と共に多岐にわたり活動の領域を広げている。2010年サンディエゴ写真美術館に作品が収蔵。2014年作品集「Datlight | Blue」上梓。2023年青森県立美術館にて写真展「発光」を開催。大阪芸術大学客員教授。
www.ichigosugawara.com